「私」のこと。

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はじめまして。栗田 和佳(くりた かずよ)です!

4月10日生まれ / 牡羊座 / O型 / 女性 / 既婚/ 
生まれも育ちも静岡県東部。三島市在住。

再婚同士の父と母の間に生まれる。父には男の子が2人おり、当時10歳と8歳の小学生の男の子を持つシングルファーザーとしての再婚でした。

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父は和食割烹の職人。東京の名だたる割烹料理店で修業し20代で先妻となる女性と結婚。
その後 地元に戻り店を開業。当時の立地や様々な条件を考慮し、割烹料理店ではなく寿司屋を開店したのでした。男の子ふたりをもうけるも(兄たち)その数年後に離婚。

母は実家が大きな農家で、嫁ぎ先も農家。子どもに恵まれず、およそ8年で結婚生活は破たんしてしまったようです。いわゆる”出戻り娘”でした。
この時代はバツイチなんて言葉も無いくらいに世間体が悪く、実家で肩身の狭い思いをしていたようです。
お見合いという形でふたりは知り合い結婚。父が36歳 母が33歳の時に私が誕生しました。


 家業に忙しい両親と、優秀な兄たちの狭間で

私が4歳くらいまで、平屋の一軒借家と、そこから歩いて30秒もかからない場所に店舗を借りて切り盛りしていたようです。店の経営は回っていたようですが、とにかく忙しく、朝から深夜まで両親は働いていました。小学生の兄たちはそんな環境を当たり前のものとして受け止めていました。

そんな環境の中、生まれたばかりの私は、日中 寝かされたまま。兄たちは時々かまってはくれるものの
自分たちの遊びや勉強に夢中です。両親が家に帰って抱っこしてくれるのは、いつもきまって深夜なのでした。

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忙しくて忙しくて、寝食以外の時間はすべて仕事にあてていた両親。ミルクを8時間以上も与えられず、泣いても親の姿はないし、抱っこも遊んでもらえるのもままならない状況で、私は育ちました。赤ん坊の時から幼児期まで、私の遊び相手はなんとテレビ。一日中つけたままで子守(?)させていたのです。

今だったら完全に「ネグレクト」ですよね(苦笑)…

別に暴力的な虐待を受けていたわけではありません。両親も兄たちも、私を愛してくれていたのだとは思います。母も仕事に追われている自分を責めていたようですし…

 ただ、そういう環境で育つと子どもはどうなるのか? ーー
自分の世界が閉鎖的で、考えるのも、動くのも、しなくなるんです。

私、大人になってから知ったのですが、こういうのって【 エレファントシンドローム(症候群)】というようですね。

【 エレファントシンドローム(症候群)】
”サーカスの象は、子象の時に逃げ出さないように鎖をつけて杭につながれる。動き回りたいが、思うように動けない。はじめのうちは何とかしようと試みるものの、そのうち鎖と杭で自由に動くことができないのだと学習する。

やがて大人になった象は、子どものころに繋がれていた小さな鎖と杭に繋がれても、逃げ出すことなくおとなしくしている。大きな体になった象なら、そんなちっぽけな鎖や杭なんて壊せるチカラがあるのにも関わらず。象は小さいころに自由に動き回ることができなかった経験から、「そんなことをしても無駄」だと悟っているためだという” 

驚きました。これに気がついたの、じつは最近なんですよね。

閉鎖的な世界の中で、自分で何かを変えようともせず、受け身のままになんとなくの流れに乗って…そんなふうに育った私は、当然のように内向的で人見知りが激しい、自信も自尊心もないぼんやりとした子どものまま、成長していきました。


 嫌いだった父

私が5歳になる年に、両親は念願の店舗兼マイホームを購入しました。のちに11歳上の長兄は、高校卒業後に家業を継いでいきます。9歳上の次兄は公務員です。ふたりとも、親の期待を裏切らない優秀な息子たちでした。父にとっても自慢の息子たちだったと思います。

ところが私は というと。相変わらずおとなしくてぼんやりとした、存在感のない女の子。
いつも父にからかわれ、心無い言葉を投げかけられても言い返すことなんてできませんでした。

父は火のような人で職人気質。子どものころに一度だけ映画に連れて行ってくれましたけれど、怖くて子ども心に気を遣いすぎてお腹が痛くなったのを覚えています。

新しい地に引越し、店舗兼マイホームを得た両親は、ますます仕事に精を出していきました。
父は人生 意気揚々です。自分の仕事を誇りにしていましたし、なによりも仕事が好きでした。
仕事も好きですが、ヘビースモーカーで 酒・ギャンブル・女性 オールマイティに好きでした。

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農家で育ち、農家の世界しか知らない ただただ真面目に働く母と、都会で刺激的なものを見てきた父との間には、絶対的な価値観の違いがありました。また父は、母を人としても女性としてもどこか蔑んだ目で見ていました。今思えば、母も【 エレファントシンドローム 】だったのかもしれません。

再婚して、今度こそは幸せになると決めていたであろう結婚生活のなかでいつのまにか母は、自分の心の声にフタをして生きていました。

そのひずみが何年も重なって重なって、母自身も気がつかないうちにどんどん大きくなっていき、母の心は 積み重なった我慢と、苦悩と、哀しみで、いっぱいになってしまったのです。

そして ある時、母の心が大きな悲鳴をあげました。
笑顔の母とはもう会えない。

母の精神が、崩壊したのです。


 母が壊れた日

なんだか様子がおかしいな…小学生の私は時々そう感じて、不安になる日が増えていきました。
内向的だった私は、誰かに話すことも相談することもなく、不安を打ち消すように絵ばかり描いていました。… 絵を描いているときだけは、とても自由な気持ちになれたから。

そしてある日、近所の人が血相を変えて家に飛び込んできたのです。

「 お宅の奥さんがおかしいよ!! 」

私が住んでいたところは田舎で、家の目の前には国道、裏手には畑や田んぼが広がる場所。
その裏手で、真冬の寒い中、下着姿の母が意味不明のことを大声で叫んでいました。

父と長兄に抱えられて家に戻るも、母の精神の崩壊は収まりません。子どもの私の目から見ても、母はおかしくなっていました。目つきや表情が変わり、奇行が止まりません。

ついには母、入院。私が小学5年生の時でした。


 抜け落ちた記憶

母は富士市の精神病院に入院しました。
私は一度も母に会いに行きませんでした。

父や兄たちは足を運んでいたのかもしれませんが、大人でさえショックなものを小学生の私に見せるのは、なおさら酷だと思ったのかもしれませんね。私も、母に会いたいとは言いませんでした。

そんなことがあっても、毎日の生活は続いていきました。

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…私の記憶はここまで。
母が入院し、退院するまでの8年間、私の記憶はおぼろげです。特に小学5年生から中学にかけて、ほとんどが私の中から消えてしまいました。

友だちがいなかったわけではないので、友だちと遊んだりもしたでしょうし、小学校の行事でなにか楽しいことがあったのかもしれないのに、それも全く覚えていません。”楽しい” とか ”うれしい” っていう感情が欠落していました。心にあるのは、”哀しみ” と ”虚無感” ”孤独感” そんなものだらけでした。

覚えているのは、夕暮れ時。小学生の私が膝をかかえて、擦れた畳の6畳の部屋で、再放送のアニメをひとりみている情景とか、毎晩つづく宴会の席での、お客が酔って騒ぐ声や大声で笑う声だとか、掃除が行き届いていない家の中を舞う、おおきなホコリのかたまりたち…そんなものだけが妙に鮮明に、私の記憶の中に残っているのです。


 人が支えてくれた 

こんなふうに不安定な子どもは、外側に放射するか、内側に放射するか、どちらかです。
私は内側の人間でした。外側に対して反抗的になるのではなく、内側に入り込んで自分を守ろうとしました。学校に行くことの意味もわからず、行きたい・楽しいとも思えず、無断欠席が増えていきました。

とうとう、中学校生活のほとんどが引きこもりとなりました。

父や兄から何か言われたのかもしれませんが、私の中にはもうなにも響きません。

一日中 布団の中にもぐり自分の殻の中に安心感を求ねる毎日。 時間の感覚もなく、寝ては起きそして食べ、無意味に食べ過ぎたら食べなくなり、過食と拒食の繰り返しでした。身体も心も重くて、なにかをしようという気力もわいてこないのです。

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そんな暗闇の中にいた私ですが、それでもこんなことが続いていいわけがないとは思っていました。焦る気持ちもありました。だから、なんとなく気分の良い時には登校してみるのです。すると、こんなにも学校を休みがちな私にも関わらず、無視されたりいじめを受けることもなく、話しかけてくれる友だちさえいたのですよね。

そして、その友だちのお母さんが毎朝、私の体調や食事のことを気にかけてくれてもいたのです。今思うと不思議な気持ちさえします。それに、学校には私を気にかけてくれる先生もいました。
私に ”役割” を与えてくれたのです。学級新聞をつくる役割でした。学校を休みがちな私につくることができるのかなんて、考えてもいなかった役割でしたが、私は夢中になりました。

学校は相変わらず休みがちでしたが、それでも家にいながらすべて手書きの学級新聞づくりに没頭しました。そして、新聞の発行日には必ず登校していました。

 人は人で救われます。

このとき、誰かが私の存在を認めてくれたから、その先を歩いていけました。

出口のわからない真っ暗な闇の中で、少しだけ光が見えた時、人はそこから出たいと痛切に願うものです。
今は、本当にただただ感謝の気持ちでいっぱいです。


心を開いて 人とかかわることで人生が変わ

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その後 高校に進学し、そこでも担任の先生に救われました。厳しい先生でしたがクラス全員のことを想ってくれる素晴らしい先生で、その恩師のおかげで短大に進学することができました。高校時代には私と同じように複雑な家庭環境の子が他にもいることを知り、お互いに言葉を掛け合いました。数学の先生に片思いをして、初めて手作りのお菓子に挑戦しプレゼントしたり。生徒会役員に選ばれて全校生徒の前で発表したり…そんなこともあって、少しずつ少しずつ 自分に自信が持てるようになっていきました。

自信がもてるようになると人は自然な笑顔がでるようで、このころから凍っていた私の感情にも変化が出てきたのでした。

短大時代には飲食店や家業のアルバイトです。
家業が寿司屋で人の出入りが多かったためか、私は短大時代からも社会人になってからもすべて人と接するアルバイトや仕事を選んでいました。そして、お客様と接しながら自然と笑顔がこぼれていたのです。不思議ですよね。あれほど内気で引きこもりだった私が、家業を手伝い、卒業後はアパレルや美容業といった接客業を選んでいるのですから。

そうして働いて気がついたこと。それは「私は人が好きなんだ!」ということでした。


 恋愛、結婚、子育ての幸せな日々

短大時代から私の恋愛遍歴がスタートです。それほど多くの男性とお付き合いをしたわけではありませんでしたが、出会いは自分で引き寄せていたと思います。数年お付き合いした彼、数か月でお別れした彼、変な性癖の彼(笑)…などなど。今となっては良い思い出です。ただ、思い返すと、やっぱり類は友を呼ぶというのは本当で、その時の自分のエネルギーと同じような人と出会い、お付き合いしていたように思います。

環境も境遇もちがう者同士ですから、ケンカをしたり嫌なこともありますよね。二股をかけられたこともありますし。とはいえ、その瞬間に感情がうまれ、確かに愛し愛されていたわけで、これって人として生まれてきたからこそできるものなんだと思います。純粋にすばらしいことだと思うのです。

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愛情を枯渇していた私は恋愛で「愛」を知ることができました。人としても女性としても成長できました。その後 結婚。じつは結婚の際に、両親に感謝の手紙を書いたのです。はじめは恨み節の文章しかでてきませんでしたが(苦笑)そのうちに涙があふれて止まらなくなりました。

どうしてでしょうね。あんなに苦手だった父。もっと母との時間が欲しかった子どものころ…。それでも、父も母も、ああ…本当は私のことを大切に思い、愛してくれていたんだってことに気がついたのです。両親がいなかったら、ふたりが出会わなかったら、いま・ここに 私の存在は無いのだから。そう思えたのです。

父は腕のいい立派な職人でした。母にはもっと自分の人生を楽しんで欲しかった…

現在は夫と義母とふたりの娘たちと一緒に暮らし、独身の頃には得ることのなかった幸せに日々感謝しています。ありがとう。明るく素直な娘たちの笑顔を見るたびに、子どものころの私に会いに行って「大丈夫だよ」って教えてあげたくなります。結婚して家族になることで、また新しい扉が開きました。

 … 恋愛はすばらしい!
 … 結婚はすばらしい!

たとえその先に、様々な状況や感情の変化が訪れ、別れや離婚があったとしても、それでも恋愛は素晴らしいし結婚は素晴らしい。そう皆さんにお伝えしたくなりました。

人と人が出会うこと。愛し愛されること。支えあい慈しむこと。諦めず、恐れず、心をひらいて。

自分自身と相手を好きになるところから始まります

そんな私は、いま。子育てが落ち着いた今。

いつでも受け身だった自分の人生を、自分自身で動かしたくなったのです。ようやく行動しよう!行動したい!って気持ちになりました。もう自分に言い訳するのをやめよう!と強く思ったのです。これから恋愛婚活パートナーシップコーチとして日々の気づきや学びを綴っていきます。

誰かと一緒に笑顔になりたい、勇気や喜びを贈りたい!そんな気持ちです。どうぞよろしくお願いいたしますね。「私」のこと。読んでくださって本当にありがとうございます! 

これからの皆さまとの出会いを、心から楽しみにしています^^

ご縁に感謝♡ありがとうございます。